1970年代に入り、日本国内の生活は豊かになり、好景気の流れもあり、東京ソックスは事業規模を拡大させ、業界内での存在感が増していました。また、團治郎の息子である田中伸治(現・経営者)も東京ソックスの経営に参画するようになりました。基盤の整ってきた東京ソックスは、思い切った決断をしました。当時、アパレル会社や問屋などが、海外から製品を直接輸入するということは皆無で、大手商社や専門商社が輸入して、アパレル会社や問屋に販売していましたが、実際に製造するノウハウを持つ製造業のポジションにある東京ソックスが、海外で現地のメーカーの人達に技術的な指導をして、製造し、輸入するのが本来の在るべき姿と考えて、海外へ進出することを決めました。

 最初は、現地法人は作らず、韓国や中国に技術的な指導をして製品輸入をしました。しかし、韓国では価格面で折り合いが合わなくなり、また、中国は、納期などで課題がありました。そういった状況の下、それまでの経験を活かし、あらゆる面で事業を展開しやすいASEAN地域に拠点を持つことにしました。

当時、 殆どの日本の会社が、海外に進出する時に、情報を収集して、進出するか、否かを考える際に情報を収集してもらうことが多 かったのが大手商社や銀行などでしたが、東京ソックスは、韓国や中国で事業を展開していた時には、大手商社や専門商 社の情報や力を借りて輸入して来ましたが、その時の経験から何処かを通すことによって、海外現地の状況が、生で、正確に情報が入って来ていないことに気づいていました。そこで、ASEAN地域に進出するにあたっては、全て自分達の足と手を使い、情報収集をして、自分達自身で、どの国にどの程度の投資をするかを決断することにしたのでした。

そして、1989年2月22日、タイにBANGKOK TOKYO SOCKS(通称BTS)を設立しました。日本から技術者を派遣し、現地で多くの従業員を雇い、製造を開始しました。決して、当初は順風満帆な状況ではなく、文化や慣習の違いに苦労をしました。義理や人情といった日本的な独特な考え方や関係は、一切と言っていいほど無く、金銭的な条件の良し悪しが優先することが多いので、東京ソックスの社員自身がその文化を理解するだけでなく、重要な取引先の方々にも理解して頂くことには、相当な時間と労力を費やしました。

様々な困難を乗り越えて、東京ソックスは国境を越えたビジネスを展開することに成功しました。創業精神の創意•工夫•努力こそが東京ソックスの理念であることを示したのです。